ある八月のものがたり
こぼれ話(1)

篠崎正喜さんのこと

父は空 母は大地

篠崎さんに初めてお逢いしたのは昨年の暮れでした。
この物語は太平洋戦争の」終わり近い八月のある日の出来事です。 よく晴れた八月の日でした。
空はあくまでも青く、深い深い青でした。その日の青を篠崎さんなら表現していただけると思いました。快くお引き受けいただき、編集者としては新米の私は天にも登る気持ちでした。
「ある8月のものがたり」では戦争ものにありがちな暗さは避け、あの太陽が眩い8月のある日の出来事を、あの不思議な出来事を篠崎さんの力強くファンタスチックな筆致で描いてくださいました。

主な絵本作品に「青いナムジル」(文、寮美千子)「おおおとこエルンスト」(文、寮 美千子)小学館
特に数年前に出版された「父は空 母は大地」(左)は教科書にも採用されました。
好評で最近復刊されました。(ロクリン社)一人のインディアンの伝言が美しい詩と絵によって語られています。

お母さまのこと

篠崎 正喜氏

この絵本に登場するお母さまのイメージについて篠崎さんと話し合いました。
当時の女性のイメージとして、典型的なj女性像は、女性の社会的な地位はまだ低く、 明治時代から続くつらい運命に耐える女性が典型的な姿でしょう。
しかし、お母さまを描くときには、いわゆる日本の耐える女ではなく、美しく凛とした姿に描いて欲しいと思いました、出来上がった絵は、気品ある凛とした女性でした。前ページの母の画像です..

篠崎 正喜氏談
私の生い立ちの中の女性は全て、自由で耐え忍ばない女性たちでした。祖母は料理、洗濯、裁縫を一度もやったことはありません。今、一緒に住んでいる姉は、埼玉の金持ちに嫁入りしました。
新婚1ヶ月の頃、その家の姑から「金目当てで来たのだろう」と嫌味を言われて姉は怒り、その日のうちに運送屋を手配し、翌日には自分のものをすべてトラックに積み込ませてその家から去りました。姉の再婚相手は湯島の代々の江戸っ子で、姑とは仲良くくらしました。 私はそのような女たちの中で育ちましたので耐える女性を描くのは苦手です。

父も母も三度目の結婚で婚礼は挙げていません。父違い母違いの兄姉が四人います。父母が同じ姉が二人で、七人兄弟の末っ子が私です。
父は山っ気が多く、会社を立ち上げては倒産の繰り返しでした。母はなりふり構わず働いて私たちを育てました。 しかし兄姉たちと私はとても仲が良く、43歳で私が絵描きに転向すると、姪たちまで一緒になって援助してくれて助かりました。
私は50歳近くなっても兄姉からお年玉をもらっていました。初代、二代目と贅沢を続けて財産を使い果たすと、三代目にアーティストが生まれる、と昔から言われています。そのわけが、とても理解できます。